指導者の役割とは、知識を与えることだけではありません。
むしろそれは目的ではなく手段であって、本当の目的は以下のことです。
「教育とは容器を満たすことではなく、心の炎を燃え上がらせることである。」
本日の練習では初めてジムでの筋力トレーニングを行なった。初めてのことで選手は目を輝かせていた。こちらがやめろというまでダンベルを離すのをやめないほどであった。
本来の教育とはこのようなことをいうのではないか。決められた題材を嫌々押し付けることが教育とは呼べない気がする。だからこそ自分の得意な分野で得意なように熱意を持って話す力が求められる。教員にとって大切なのは熱意とプレゼン力である。「これをすればこうなる」といったゴールを示し、そのゴールに向かってワクワクするような仕組みを作ることが指導においては大切なのではないか。つまり、題材はどんなものだったとしても、「これ悪くないじゃん」と思わせることが出来れば勝ちというゲームなのである。
辛いトレーニングでも、これをすることでこんな未来が待っているよ、こんな効果があるよ、といったゴールを見させて説明をすることが重要である。言葉を選ばずに言えば、詐欺師になれるかどうかである。
もちろん知識や技術は大切である。しかしもっとも大切なのはその事象に対して熱意を持って魅力を伝える力がこれからの自分には求められていると感じる。